東京地裁の国歌・国旗強制違憲判決

原告となった教員連中に、なんともいえない嫌悪感を感じ続けています。ついでにこの判決を支持するアサピーと毎日にも。

「子供たちの規律を取り戻すために、ある種の統一行動は必要。その一つが国歌、国旗に対する敬意だ」と指摘した。

石原都知事の言うことは見方によれば暴論に見えるかもしれませんが、責任を伴わない自由を正とする誤った教育が子供達の乱れにつながっているという考えに基づけば、なんらおかしなことは言っていないと捉えることもできます。権利としての自由を保護しながら、何をもって同じ方向を向かせるかという議論ですね。国という集団に属することをきちんと意識させること。
今夜の報ステでは欧米諸国が学校教育の中で国歌を強制していないということを強調していましたが、そんなことをしなくても各国では国歌・国旗は自然と根付いているからこそ、そんな当たり前のことを指導したりしないだけです。日本ではゆがんだ教育現場も一因となり、それができないという現実が、この学校に対する日の丸・君が代の指導に繋がっています。この原因を作っているのが教員達の曲がった主義・信条だとすれば、やはりこの判決はおかしいといわざるを得ません。