体罰が絶対悪とは思えない

体罰 - Wikipedia
戸塚ヨットスクール校長、戸塚宏氏が出所されたことにより、テレビでは体罰を肯定する戸塚氏についての報道が盛んに行なわれています。
私自身も休暇の今日、あちこちの番組での取り上げられ方を見て、体罰というものについて改めて考えさせられました。
私自身は元々、体罰を絶対悪とは考えていません。家庭において、また学校教育の現場において、体罰(ここでは「結果として」怪我に繋がらないことと、体罰を加える人間の子供に対する愛情があることを前提とした、痛みを伴う身体的接触という意味だと捉えてください)が時として必要な場合があるという考え方です。
怒りに任せて力を振るう暴力と、体罰を同義化する方も多いかと思いますが、これは違うものと考えるべきです。子供たちが取り返しのつかない痛い思いをする前に、子供たちが行なっていることが結果として取り返しのつかない痛みに繋がることを教える過程で、暴力ではない体罰というのはあってもおかしくないです。
子供と一対一で向き合うことが困難な学校という教育現場においては、教員の人間性に対する疑問や不安もあり、暴力と体罰の境界線を明示することが難しいため、現在の法制度を変えるべきだとまでは思っていません。人間形成のために体罰が必要となる教育の領域というのは、家庭が担うべきものなのだと思います。
とはいえ、人間というのは常に不完全なもので、親も例外ではありません。子供に愛情を注げず、虐待を繰り返したり、殺してしまったりするような親が世の中に存在するのも事実であり、私の考え方はこういった親たちに免罪符を与えるようなものではありません。
ただ、戸塚氏の考え方を一言で全否定するコメンテーターを見て、それは違うという思いに駆られたのです。100%悪というようなことはそうそうないのです。そういった人間社会の複雑性に目を瞑り、思考を停止して、他人を批判するような方々は、もう少し広い視野を持たれたほうが良いです。
体罰は100%悪だと思われている方には、昨今の怖いもの知らずな子供たち、若者たちを見て、何も感じませんか?何が足りないと思いますか?と問いかけたい気持ちです。もちろん体罰を肯定しただけで、すべてが良くなるような単純な話ではありませんが、子供たちがリアルに痛い思いをしてからでは、遅いこともあるのですよ。
自分の子供たちに対して、自分でやってあげられることはできる限りしてあげたいものです。叱らない、やさしいお父さんでは足りないと信じているから、根気良く子供たちを叱り続け、必要なときには平手打ちをかまし続けたいと思います。