「誰もがわだかまりなくお参りできる施設」というものは存在しない

<国立追悼施設>小泉政権では調査費を計上せず 安倍長官
私が個人的に国立追悼施設の建立に否定的な理由の一つが、「誰もがわだかまりなくお参り」などということはありえないというものです。
日本では信教の自由があり、どのような宗教であってもそれを信じることそのものを否定はできません。
信教の自由 - Wikipedia
一神教にカテゴライズされる宗教を信じるものにとって、「無宗教の追悼施設」なるものに「わだかまりを感じるな」という方が信教の自由を奪うことに他ならない行為であり、もともと「無宗教の追悼施設」なるものは、言葉遊びでしかないのです。
自分はクリスマスも祝うし、初詣もする、葬儀は仏式と、日本人の典型とも言える宗教に無関心な人間ですが、だから日本人全員が無宗教だなどとは思っていません。人に迷惑さえかけなければ層化だろうがΩだろうが、皆さん好きに信じるべきです。もちろん多神教の最たるものである神道もね。無宗教施設ならいいだろうというのは、宗教に価値を感じない人間のエゴでしかないです。
ということで、少なくとも直近で、このような無駄金が使われなくなりそうだというニュースを嬉しく思います。